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今、福岡は満開です
まさに、今が満開。ここ1週間ほど気温が低いので、花も長持ちしています。
昨日、うちから自転車で30分くらい走った所にある愛宕神社の桜を見てきました。
門前の「岩井屋」さんは、以前ブログにも書きましたが、偶然ここのご主人が浅草の店のお客様で、私が福岡に来ていらい、何かと気にかけて下さっているのです。
お店の座敷から、見事な桜を鑑賞しながらお茶がいただけるとあって、この日はすごい混みよう。一人で行ったので、名物の岩井餅とお抹茶をいただき、さっと帰ってきました。まさに花より団子!?
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神社への石段を登る途中にも満開の花が重そうに垂れ下がり、参拝客を楽しませてくれました。
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先日、博多の一十さんで、久々に中塚一雄先生の着物学講座を聞いてきました。今回のテーマは「桜」。

桜の木がよく小学校に植えられているのは、聖樹でもあり、結界の意味を持つからだそうです。
樹齢は約70年。植えてから12年位で花が咲き、20年位までは木肌もすべすべしている。40年位までが花の盛りで、50年過ぎると虫が喰ってくる…と、まさに女性の一生と似ている。
(先生、最近はアンチエイジングで50歳過ぎても若々しい女性は多いですよ!)

冬を乗り越え、花が咲き、散るという「もののあはれと歓び」は、日本人の好む題材。同じく雪や月にもなぞらえ、「雪月花」の題材は数々の歌に詠まれ、吉祥模様にもなっていきます。

江戸時代、八代将軍吉宗は上野、飛鳥山、小金井に桜を植樹します。上野は幕府の所轄だったので、庶民が花見をしたのは飛鳥山。浮世絵などにもよく描かれています。
現在、東京のいたるところに植えられているのはソメイヨシノですが、これは駒込村染井の河島権兵衛さんが作った種類。これで権兵衛さんは大金持ちに。
江戸最大の歓楽地、吉原遊郭では、桜の時期になると、桜並木を移植したのだそうです。なんとレンタル桜! そして花が散るとまた抜いてしまい、秋の紅葉の季節には、もみじをまた植えたとか。なんという贅沢でしょう。

時代は下り、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が大ヒットします。十段目に登場する天河屋義平の「花は桜木、人は武士、天河屋義平は男でござる!」という名台詞から、桜が“武士の象徴”になったのだそうです。
そして明治時代には、護国と忠魂の花となり、昭和の戦争でも“桜が美しく散る”イメージが軍国主義のもと、教育されるようになった。

以上、中塚先生の「桜」講座から、ほんのちょっと抜粋しておきました。
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by TomitaRie | 2009-03-30 17:30 | 福岡 | Comments(0)
お堂は修理中
浅草に帰っています。観音さまの本堂は現在修理中で、工事用の囲いができています。
耐震強度を増すため、約7万2千枚といわれる土瓦ををすべて葺き替え、チタン製の瓦に替えるそうです。
日本の伝統的な神社仏閣に用いられるチタンとしては過去最大級の量となるとか。
工事は来年2010年12月までの予定ですが、参拝には問題ありません。
地元の人間はそろそろ5月の三社祭に向けて、準備が始まります。全町会の神輿勢ぞろいも、おそらく集合場所が変わりますし、昨年謹慎のため出なかった本社神輿は今年はめでたく出るそうですが、宮出しはやはり通常通りとはいかないようです。
とはいっても、今から祭のことを考えるとワクワクしてしまう浅草の人たちですから、どんな形になろうとも盛り上げることは間違いなし!
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by TomitaRie | 2009-03-14 11:16 | 浅草 | Comments(0)
冬の旅 Part2
さていよいよソウルです。ホテルは東大門市場の近く。
不夜城の東大門市場は、夜10時頃から明け方にかけて一番賑やか。小売もしますが、地方から仕入れに来る人たちのために、夜中に商売をしているのです。
いくつも立ち並ぶ建物には、ぎっしり洋服や小物、靴のお店が並び、目もくらむようです。
とにかく安いし、はじめはワクワクしていましたが、とにかく尽きることのないモノの洪水には次第に疲れてぐったり。とうとう何も買えずじまいの私たち。
「なんか、負けたね」と言いつつ、ホテルに帰りついたのでした。

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夜の東大門


今回のハイライトはソウル郊外のヘイリ芸術村。
北朝鮮の休戦ラインにほど近く、地下鉄の終点からさらにバスで1時間。
韓国の人でも美術好きでなければ知らないような、ましてやフリーの旅行でわざわざ訪れる私たちのような物好きはあんまりいないと思われます。
1994年に、ある出版社の社長さんの呼びかけで、文化や芸術活動に携わる人々が、50万㎡の土地を共同購入したのが始まりだとか。公的支援を一切受けず、有志が集まって芸術村を作ったといいます。
夫の強い希望に渋々ながら付いていったのですが、これがかなりおもしろかった。
身振り手振りでいろんな人に尋ねつつ、ようやくたどり着いた所は、広々とした土地に個性的な建物が点在し、まだあちこちで建築工事も行われていました。
昼時で、最初に入った建物の1Fにあるレストランでランチ。周りには西洋人の混じったグループとか、学生さんのグループが食事中で、なんとなく大学のキャンパスっぽい。
他にはこだわりのありそうなオーナーがやっている、ブックカフェ、ミュージックカフェ、ギャラリーなど、それぞれユニークな建築物です。
なかでも私が気に入ったのは、「カメラタ音楽鑑賞室」。すごいオーディオシステムでクラシックを聴かせてくれるカフェです。コンクリートと木材で造られた空間は、一日中でもいたいと思うくらいの心地よさ。
あるギャラリーに李朝の青磁っぽい器が展示されていて、作家の方もそこにいらしたのですが、使いやすそうなボウルを購入。別のギャラリーでスチールで作った壁掛け時計も買いました。

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ブックカフェ


今回の旅では、もちろん本場の韓国グルメも堪能しました。
旅では私がレストラン係なのですが、今回はすべてはずすことがなく満足のいく店に入りました。
福岡で偶然知り合いになった韓国人の方から教えてもらった、東大門近くの店では、プルコギとケジャン。
韓国式の家屋を使った建物が趣ある「土俗村」という有名な参鶏湯の店。
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カルクッス(うどん)が名物の家庭料理の店では、そこのおかみさんは日本語を勉強してる息子が自慢で、私たちが来たのをすごく嬉しそうでした。
ほかにもメニューはコムタンのみという店、お約束のカルビや冷麺、そしてどこの店でも座ると出てくるキムチ。
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初めてのソウルは、思っていたよりずっと豊かで、元気で、パワフルな印象を受けました。出会う人たちも皆さんとても親切。さらにソウルの女の子たちはすごくおしゃれでした。
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by TomitaRie | 2009-03-03 15:38 | Comments(0)
冬の旅 Part1
ようやく夫の休暇がとれたので、マイレージを使ってソウルに行ってきました。
福岡からソウルなんて“すぐそこ”なのですが、飛行経路の都合上、関空経由ということに。
ならば京都に寄りたい!と贅沢な企画を立てた今回の旅です。
新幹線で京都駅に降り立ち、正法院というお寺へ直行。京都でも隠れ寺院として、
各界のVIPが来るという有名な寺院だそうです。
わざわざ京都に寄った理由の一つは、私の参加する着物関連のコミュニティが主催するイベントに参加するためです。
まずは純庵こと中塚先生の「和暦」についてのお話。
次に京都の粋人が遊ぶという花街・宮川町のお茶屋「春富」の女将春乃さんの講演です。
京都といえば舞妓さん。これまであまり知らなかった“お茶屋の真実”をたっぷり聞くことができ、とてもおもしろかったので書いておきます。

元禄の頃、お寺の参詣客相手の茶店で、茶くみ女がお酒を出すようになり、それがお茶屋になっていきます。お酒を愉しみながら、子どもに舞いをさせたのが「舞子」となり、「舞妓」になるわけです。

舞妓さんは1年目~5年目の修行中の呼び方です。その後は芸妓さんになります。
舞妓さんのお化粧も年数によって違います。
1年目は下唇だけ紅を塗ります。
2年目から上下唇に紅を塗り、かんざしも年数が経つにつれて少しずつ変わっていきます。

舞妓さんの髪は地毛で結い上げています。夜寝るときも箱枕。
芸妓さんになると、鬘(かつら)になります。
1~3年目は「割れしのぶ」という結い方、髷(まげ)の前後に鹿の子のてがらを付けています。
4~5年目は「おふく」という結い方。お正月など行事ごとに髷が変わるそうです。

衣裳は肩に縫い上げがあり、袖も長くて一尺七寸。
昔の舞妓さんは小さな子どもだったので、その名残だそうです。
帯はなんと7メートルもの長さ。置屋の紋が入っています。これはかつて、京都には2千人もの舞妓がいて、小さな子どもですからお座敷で眠ってしまうこともあり、どこの置屋の舞妓かわかるように、迷子札の役割だったとか。
帯には宝石をはめ込んだ見事な帯留をしていますが(ぽっちりと呼ぶ)、舞妓さんの衣裳で一番高いものなんですって。

履物は“おこぼ”(ぽっくり、こっぽり)。1~3年目は紅い鼻緒で鈴が付いています。
4~5年目になるとピンクや藤色の鼻緒で、鈴は付きません。

芸妓になる節目は「えり替え」といって大事な儀式です。お相撲さんの断髪式のように、元結(もっとい)を切るのだそうです。
京都花街の芸妓は、着物の褄を左手で持ちます。これは着物の中に手が入らない、つまり体を許さないということ。
昔は旦那制度というものがありましたが、今はないそうです。よく「襖を開けるとお蒲団が敷いてあるのでは?」と言う人がいるそうですが、「映画の世界だけ」で一切そんなことはないとのこと。

京都のお茶屋さんは「一見さんお断り」、つまり紹介者がなければ、いくらお金を積んでも入れません。
例えば、私が誰かにお茶屋さんへ連れて行ってもらって遊ぶとします。
次にまた遊びたいとなったら、その紹介者に電話をしてもらってからでないと、入れないのです(裏を返す、と言うそうです)。そして3回目でようやく“お馴染みさん”になれます。
この世界では、飲食代金や花代はお茶屋が立て替えるため、お茶屋とお客さんは信頼関係で成立っているのです。逆にお馴染みさんになると、お財布を持たないでも花街で遊べるというわけ。
クレジットカードが信用の証だったりする現代では、まどろっこしい慣習ですが、だからこそ京都の花街は守られてきたのでしょう。

その後、舞妓「美恵雛」さん、芸妓さん「弥寿葉」さんが登場しそれぞれの舞の後、花街遊びを体験!
「金比羅船々」「トラトラ」そして野球拳ならぬ「きもの拳」。私たち夫婦はどれもあっさり負けてしまいました。

京都の花街で遊ぶことなんて、たぶんこの先もないでしょうから、この日のイベントはほんとに良い思い出となりました。

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翌日は1日京都観光。
まずは京都絞り工芸館を見学。何十種類もある絞り染めの伝統の技を説明してもらいました。

次に、豊臣秀吉の夫人北政所ねねが、秀吉の菩提を弔うために建立した、高台寺へ。今だけ間近で見学できるという開山堂の天井龍図。
庭園は小堀遠州の咲く。利休の意匠による茶席「傘亭」は、竹を放射状に組んだ天井がおもしろく、そもそもは舟で入れるように造られたそうです。「時雨亭」は二階建てになっており、ねねは大阪城の落城を二階の窓から見たといいます。
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八坂神社を通り抜け(ちょうど結婚式の一団に遭遇!)、昼食はガイドブックにのっていた元芸妓さんが営むという祇園の店でカレーうどん。
四条通をぶらぶら歩いて、京都駅から電車に乗り、東福寺を見学しようと思ったら時間切れ。仕方なくお茶を飲んで荷物をピックアップし、大阪へ。
大阪在住の友人が連れて行ってくれたのは、なんと韓国料理。明日からの助走ということで!
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by TomitaRie | 2009-03-03 15:25 | Comments(0)