浅草・千束に「ガランス」という小じんまりした喫茶店がありました。
私が10代の頃から通っていましたが、20年位前に閉店してしまいました。
「ガランス」店主のMさんは仏映画やオペラが好きで、パリの路地裏にあるような雰囲気の店内は、
合田佐和子の絵や、四谷シモンの作品が飾ってあって、独特の空間でした。
猫ちゃんがたくさんいて、2階の住居から時々1~2匹お店に降りてきて、お客さんと遊んでいました。
Mさんは若い頃、唐十郎の状況劇場に出入りしていたらしく、60年代のテント芝居や役者達のエピソードを聞いて、
「あーその頃、私も同年代だったらよかったのに!」と何度思ったことだろう。
その関係で、Mさんに唐組の芝居や大駱駝艦の舞踏によく連れて行ってもらったものです。
故・金子國義さんとも親しく、そのお弟子さんたちをはじめ、若いアーティスト達もよく出入りしていて、一種の文化サロン的な場所でした。
(金子先生の個展にも一緒に行ったなぁ)
当時、『夜想』『WAVE』など幻想文学や芸術系書籍を出版していた「ペヨトル工房」が浅草の花川戸にあって、主宰者の今野さんがよく来ていました。
文学少女だった私はその世界に憧れて、呼ばれもしないのに配送の手伝いに押し掛けたこともあります。
Mさんに受けた影響は私にとってものすごく大きくて、ガランスに出会って人生も変わったような気がします。
Mさんから名前を聞いてその存在を知ったのが歌舞伎役者の中村蝶紫さん。
やはりガランスのお客さんだったのだと思います。おそらく当時、歌舞伎の世界に入ったばかりでお忙しかったのでしょう。ご一緒した記憶はあまりないのですが。
それがつい最近、近所のバーのカウンターで偶然、蝶紫さんのお隣になったのです。
ご縁とは不思議なもの。
昨日、歌舞伎座ギャラリーにて、その中村蝶紫さんと澤村國矢さんのトークイベントがあり、行ってきました。
役者として長い付き合いで共演も多い蝶紫さんと國矢さん、ほのぼのとしたイベントでした。
蝶紫さんは20代半ばで歌舞伎の世界に入ったので、ずいぶん御苦労もあったと推察します。
お二人とも、勘三郎さんの思い出を語っていたのが印象的。
役をつけたらそれまでというのではなく、どんなお役でも放っておくことができなかった人だったそうです。
勘三郎さんはたくさん叱ってくれてありがたかった、この世界は叱ってもらえないのがいちばん怖いと、おっしゃってました。
私は見てませんが昨年「ニコニコ超歌舞伎」にお二人が出演されたそう。蝶紫さんは初音ミクの所作指導をされたとか。
写真で國矢さんが持っているのは、その超歌舞伎で「自撮り棒」と呼ばれた鉄杖。
(イベントの最後に撮影タイムがあったので、この写真は松竹承認です)
追記:来月のEテレ、獅童さんの「趣味どきっ!」で女形の解説で蝶紫さんご出演という情報。